今昔物語

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その23

今は昔、札幌のサッカーチームにホームステイをさせてもらい、「コープ杯」というサッカー大会に参加した時代があった。

初めて飛行機に乗る子供達が多く、興奮する気持ちと、落ちたらどうしようという恐怖と入りまじった複雑な心境で、札幌にたどり着いた時はかなりの疲れがあったようだ。二人一組になり、札幌SSS(スリーエス)というチームの子供達の家庭に御世話になり札幌ビール園でジンギスカン料理をいただいたり、観光に連れていってもらったりで大会に出場する以上に楽しい思い出を沢山頂いた。
大会が始まり自分達の中では塩釜FCというチーム名は少しは知れ渡っているのかという自負があったが、開会式での衝撃のチーム紹介。参加チームが行進していく中、チーム名が読み上げられる。
「釜石FC」
「ドッヒャー!」「またやられたー!」
今では、ほとんど間違われる事はないが、当時は釜石のラグビーチームが有名で、よく釜石と塩釜を間違えられていた。名前をしっかり覚えてもらうように、良い試合をしようと全員が奮起。準優勝という素晴らしい(?)結果。当時の小学生も今は三十代。吉野智行選手や山瀬功冶選手が当時スリーエスのメンバーだった。札幌の方々とは交流が続いており、吉野君には電話でのやり取りをしている。サッカーを通じての家族同士の交流は色々な地区の方々と続いているが、SSSとのつながりは特に濃い。
帰りには、帰したくないと泣いて送ってくれたお母さんや、塩釜に遊びに来てくれたご家族などサッカーが取り持つ縁はこれからも続きそうだ。
「塩釜FC」、もう釜石とは呼ばせない。