今昔物語

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その29

今は昔、一回も腕立てが出来ないけれど、サッカーが好きで、とても真面目な少年がいた。

何事にも一生懸命だけれど、なかなか結果が付いて来ない日々が続いた。しかし一歩一歩、努力する姿勢は、少しずつ報われ、中学校になると試合でも活躍するようになってきた。そしてそれは学業にも表われ、成績もぐんぐん伸びて行き、高専に進んだ。
高専に在学中、その少年N君は、我が家が経営をしていた「お好み焼き・ごーる」でアルバイトをしてもらった。五十席程の店内は、土日ともなると目がまわる様な忙しさで、その上、サッカーの試合で留守がちの主人の手でも借りたい程だった。N君もサッカーをしたい気持ちを押さえ、他のアルバイト諸君と一生懸命働いていたある日曜日の事。その日はサッカーが休みで主人も店に出ており、接客をしていたが、ささいな事で、アルバイト二人が主人から注意を受けていた。
アルバイトは全員塩釜FCの卒業生ということもあり全員が息子的感覚で接している私達は、しかるときも本気、主人もいつもの様に真剣に話を聞かせていたが、その様子を無視していたN君にキレタ主人。
「N君ここにいるのは仲間だろう、自分だけ知らないふりなんて最低だ。自分は悪くなくとも一緒にいてやる位の思いやりはないのか!いくら頭が良くても心の無いやつは最低だ」
何も悪い事をしていないし、怒られるのは不自然と思いながらもN君、だまって主人の説教を聞き「すみません」。
私もとばっちりがいったかなと思いながらも、N君に足りないのはそんな部分であり良い機会だったのかもしれないと口ぞえは何もせずただ見守っていた。あれから数年。今はコンピューター関係の仕事についており、結婚もして優しい奥さんと温かい家庭を築いている。塩釜FCにパソコンを寄付してくれ、帰省する度に、機械オンチ主人に使い方を説明し、ていねいに教えてくれる。ひとつの出来事が、考え方や生き方を変える事があるが、あの日の出来事がN君の心に一石を投じた事は間違いないと思う。
一まわりもニまわりも大きく成長した卒業生に会えるときほど、嬉しい事はない。
今も、昔と変わらず、監督の雷は降っているが、以前の雷より弱くなっているのは何故?